2009/4/10

昨日に引き続きASAGIです!
あ、昨日、近頃みにゃくんがジャンプを失敗する、と書きましたが、こう見えてみにゃくん、昔はすごく得意だったんですよ!
猫じゃらしを投げると華麗に空中に飛び上がって両手でキャッチして、くわえて持ってきてくれたりしたしね!(笑)
今はジャンプは苦手になっちゃったけど、でも弾丸ばりの猛ダッシュは、昔と変わらずできています!
あと、毛布をかみかみ、肉球でふみふみするのがすごく熱心で(笑)、放っておくと15分とか余裕でやってます。
ゴロゴロの声も尋常じゃないくらい大きくて、ご機嫌な様子が伺えます。
同じ猫でもふみふみスタイルが違って、どんちゃんは蕎麦打ったり、機織りしてるみたいに見えるし(笑)、ちょみ姫は真顔でやたら姿勢良くふみふみしてて、時々僕の方を見ながらお菓子作りしてるみたいに見える!
噛むのはみにゃくんだけかな?
「みにゃくん、ふみふみ楽しい?」と訊くと、はっと我に返ったように「にゃぁ~~ん」と猫なで声で、すりすりと甘えてきてくれます(笑)。
猫達がご機嫌だと僕もご機嫌になれて、とても幸せなひとときです!

さて今日も自己レビューの続きをしたいと思います。
7曲目の「狐塚」からですね。
Dの楽曲で「和」を感じさせる楽曲は今までもいくつかありましたが、また違った風情を描くことができた気がします。
種のテーマはタイトルにあるように「狐」ですね。
狐は北半球に多く見られる生き物ですが、日本人にとっても馴染みの深い生き物でもあります。
古くからの伝承や民話、童謡などにも多くのキツネのお話が残っていますよね。
それからキツネは油揚げが好きだという言い伝えもありますね。
(雑食なので特別好きというわけではないかもしれませんが(笑))
なので、油揚げを用いた料理が「きつねうどん」「きつねそば」などと言われているのも実に身近で面白い話です。
日本狼が絶滅した今、ヒグマ、ツキノワグマに次ぐ日本領土での捕食動物は狐狸の類いになります。
キツネは人を化かすなどと言われ、西洋でもあまり良いイメージはありません。
おまけに美しい毛並みをとる為や、残酷なゲームとして、狩猟の対象にされがちです。
ですが狐は非常に愛情深い生き物で、基本的には一夫一婦であり、子育て上手でも知られています。
同じ巣穴に何年も住むということも他の種とは異なりますし、またイヌ科には珍しく、群れではなく単独行動をしているのも非常に興味深いことです。
ちなみにこの「狐塚」、今年一番最初にできた曲で、元旦の夜にできました。
「和」を感じることも少なくなってきたこの頃とはいえ、年末年始だけはいつもより身近に感じますよね。
元々のイメージは、またまた僕が見た夢がモチーフになっているのですが、夢の内容そのものというわけではなく「狐」という部分だけを残して、あとは自由に表現しました。
夢自体は、暗闇を彷徨っていたら灯りが見えたので、僕はその方向へ歩いて行きました。
着くと、そこでは狐の面をし、着物を着た子供達がたくさんいて、皆それぞれが色の異なる灯籠を持っていました。
僕も混じろうとしたら、一人の子に「あなたはまだ来ちゃ駄目」と言われて、そのあとはなんとなくぼんやりしか覚えてないのですが、何かを受けとった後、しばらくして目が覚めました。
何を受けとったかは覚えてませんが、見たこともないような帯だった気がします。
暗闇の中で赤や黄色の灯火が綺麗だったことと、そこにいたのは子狐(子供達)ばかりで大人は僕一人という、幻想的な夢でした。
普段から映画のような夢をよく見るのですが、これは印象深かった夢のひとつです。
あとは曲や歌詞にはしづらいレベルの恐い夢もよく見たりするので(笑)、以前「悪夢喰らい」という曲を作ったのは、自分の中での悪夢に対する解決策という意味合いも込めていたりします(笑)。
この曲の主人公は狐であり、母でもあります。
僕自身、男性ではありますが、女性の持つ母性と情緒感を大事にしました。
人も動物も子を愛する母というものは非常に強く感じられます。
この曲では季語を使って、秋(山颪、朽ち葉、南天)→冬(雪)→春(笹舟)と季節の流れを描いています。
晩秋、やがて冬がやってきます。
木枯らしの吹きすさぶ夕暮れ時。
「紅い鼻緒」という部分では女性を表現していて、擬人化するならば紅い鼻緒が千切れて山を振り返るシーンからこの曲は始まります。
母狐は山に子を残し、遠く離れた里へと降り、食べ物を探しますが、その間に愛しい子は人に攫われてしまいます。
何度目の春がやって来ても、悲しみと口惜しい気持ちが心から拭いきれるものではない、といった内容です。
「いづれ皆散るが定めならば 母は誰を憎めばいいのですか」
すべての生き物が持つ「命」というものは、悲しくもいつか終わりが来てしまうものです。
誰もが避けられないことだとはいえ、奪われた命を「仕方がない」と諦めることができるでしょうか?
人の世でも悲しいことに子供を中心とした人身売買などは未だにあります。
戦争や貧しさ、秩序の乱れた世。
理由付けして済ませてしまえるのなら、犠牲となった者や、その家族はどうすればいいのでしょうか。
世界の人口だけを見ても、一秒毎に何人かの人が生まれ、亡くなっているという、今この瞬間にも壮大な命の流れは起きています。
風に揺れると南天の実は呆気なく地に落ちてしまいまし、それをあまり気に留める人はいません。
ですが命は南天の実と同じ様にはいきません。
人であれ、動物であれ、命は神の前では皆等しく魂なのです。
生きるということは命の犠牲の上に成り立ってはいますが、無益に命を奪わうことは自然の摂理に反することです。
命を差し出しても、失われた命が戻って来るわけではありません。
それでも我が子を助けられるのならば、自分の身を差し出してでも ...と思うのがきっと親の心情なのでしょうね。
タイトルの「狐塚」は狐の住む穴という意味と、「塚」自体が持つ「墓」という意味を重ねています。
それから、狐の鳴き声は日本では「コンコン」と言われていますよね。
犬や猫の鳴き声も各国によって表現の仕方が違うわけですが、実際の狐の鳴き声は「コンコン」というよりも、もっと甲高く伸びのある鳴き声ですよね。
ですがこの「コンコン」、古くは万葉集に書かれているようで、お話の中に出て来る狐とその鳴き声の「コン」、それから「行きます」という意味の「来む」がかけてあるそうです。
歌詞の中の「『今来む』と言へずに」という部分は、気持ちの上では「今すぐ逢いに行くよ」と言いたいのですが、実際はどこにいるのかもわからず、命があるのかも定かではないという、なんとも言い難い気持ちから来ています。
それから、一般的に狐の面というと、つり目の涼しい表情で描かれることが多いですよね。
「掛けた面の下 泣いています」
この歌詞は、表情を変えることはなくても、心は泣いているのだと言うことを歌詞にしました。
キツネは勿論、動物は悲しいことがあっても涙を流せません。
人とて喜怒哀楽を上手く表現できない人もいますし、立場上、子供の時のように素直に感情を出すことが難しい場合もあります。
そうしている間にも、悲しみや憤りは心に溜まってしまうのでしょうね。
シンプルな中にも力強さが響き渡る演奏。
歌は時に力強く、時に儚く、メリハリのある感じにしました。
昔から曲によって最も適した歌唱法で歌い上げるように努力しているのですが、この曲はまた新たな趣きで歌えました。
歌詞に「山颪」とありますが、これは山から吹き下ろす風のことです。
また歌舞伎の下座音楽では大太鼓を撥で打ち、山中の風が激しく木をゆさぶるさまを表したものでもあるので、曲中の大太鼓を思わせるドラムの音質やリズムも聴き所のひとつだと思います。
アウトロの鈴の音色に合わせたアカペラも、民謡や童謡調の独特な雰囲気が出せました。

そして次は8曲目の「メテオ~夢寐の刻~」です!
今作の中で一番激しい楽曲になりますね。
ライヴ向きの曲が欲しいなということもあり、久しぶりに激しい楽曲を作りました。
勿論激しい楽曲は嫌いではありませんが、、大事なことは「表現したいこと故の、意味のある楽曲」であり、「激しければなんでもいいか」という概念はまったくありません。
これはバラードにしろ、ストレートな楽曲にしろ、すべての楽曲にも同じことが言えます。
無意味なことをだらだら歌うつもりはありません。
今回もそうですが、意味があるからこそ、曲として完成させることに意義があるのだと思っています。
既存曲を上回るメタリックな楽曲で、種としては荒野を駆け抜ける「野生馬」のイメージです。
イントロのギターリフから思いついたのですが、一番悩んだのはサビのメロディーでした。
何パターンも考えては壊して、ようやく納得のいくものが出来ました。
大地を揺さぶる、まるで地鳴りのようなヒロキくんのハイテンポ・ツーバスドラミング。
嵐の空を切り裂く、るいちゃんとヒデゾウくんの雷鳴・雷光ギタープレイ。
空間を飲み込む竜巻を思わせるツネのベースプレイ。
そしてヴォーカリゼイションはメロディアスな中に、嘶く漆黒の野生馬の如きシャウトを駆使しました。
一般的な馬よりはるかに大きい、黒き野生馬のイメージなのですが、現在本当の意味での野生馬は、残念ながら世界各国どこにもいないそうです。(現在の野生馬はすべて家畜化した馬からの野生化)
野生馬という意味ではムスタング(馬としては小型)の群れ、また背格好的にはシャイヤー種(現在生存する世界最大の馬の種類)をイメージして頂ければいいかなと思います。
昔から人と馬との付き合いは深く、家畜化した馬達は人と心を許し合い、とても穏やかですが、野生馬は気性が荒く人を嫌います。
ですが、人を嫌うのももっともな話で、馬は自然の中で自由に走るのが一番似合っていますよね。
平常は心穏やかなものでも、自由を拘束されたり、仲間に危害を加えられてしまっては怒るのも当然です。
楽曲や世界観で怒りそのものを表現することは僕としては稀なことなのですが、立ち向かう強さも含めて、ひとつの表現として描いてみました。
「光陰矢の如し」時間の流れは矢のように早い、という意味がありますが、一分一秒、無駄にはできないものですよね。
愚かな行為に耽る、ならず者達の刻の流れを、利口な馬はどう感じているだろうか、という部分にポイントをおきました。
タイトルの「メテオ」とは流星の意味で、馬の駆け抜けている様が流星っぽいことと、馬の額に入る細長い白い模様を流星と呼ぶことからつけました。(模様は場所や形によって名前が変わります。星・曲星・流星・環星・乱星・唇白・白面・鼻白・鼻梁白・作など)
サブタイトルである「夢寐の刻」は眠りの時間という意味ですが、荒野を荒らす跳梁跋扈を一掃し、眠っておいてもらいたいなという思いからつけています。
それから手紙やインストアで何人かの方に「青毛」の意味も訊かれましたが、これは馬の毛色の種類のひとつなのです。
遺伝によって毛色も様々に変化するのですが、一般的な茶色を鹿毛(馬なのに鹿とは面白いですよね(笑))、鹿毛に黒みがかかったものは黒鹿毛、さらに黒いものは青鹿毛、そして全身真っ黒の個体を青毛と呼びます。
他にも栗毛や芦毛、月毛、白毛などなどたくさんの毛色があり、どの色みも実に美しいものです。
しかしよくよく考えてみれば、歌詞に「青毛」と含まれている楽曲は珍しいかもしれません(笑)。
優れた頭脳、均整のとれたスタイルに並外れた鋼の如き筋力、風に靡く鬣と純粋な瞳を持つ馬はとても魅力的ですね。
以前雑誌の撮りおろしで、乗馬をして撮影をしたことがあるのですが、澄んだ瞳がすごく可愛かったです。
また機会があれば馬に触れてみたいですし、ニンジンをあげたりもしたいですね!
この楽曲は、他の楽曲に比べて漢字や四文字熟語などを用いていることから、「狐塚」とは違う「和」を感じさせる部分もあると思います。
ですが実はストーリー的には、ヴァンパイアストーリーに少しだけかかっています。
この時点では王も、その子息も登場していませんが、「花惑」の歌詞に登場する「漆黒の騎馬」、これこそがまさに「メテオ(馬の名前)」であり、後にダンピールである王の子息の愛馬となるのです。
人を信じることができない孤高の野生馬は、如何に彼と心を通わせ、そして共に歩むことになっていくのか。
この先はまた別のお話になってしまいますが、いずれ曲なり歌詞なり小説なりで表現できるといいなと思っています。
それから歌詞の中には普段常用しないような漢字だったり、難しい意味合いの熟語などが続いているので、内容を理解し辛いかもしれませんよね。
ストレートで聴きやすい歌詞ではありませんが、音楽を通して世界観を最大限に表現する為の仕様のひとつであります。
アルバム全曲を通してこのような感じにするつもりは、全くありませんが、日本ならではの美しい言葉、それから意味を、音楽と一緒に理解していくというのも、中々情緒があって乙なものだと思いますので、その辺りはご理解頂けると有り難いです。
決して難しい言葉を集めただけの単純な羅列ではありませんので、世界観の全貌が気になりつつも、もし意味がわからない言葉があるという方は、是非辞書にてお調べ下さいね!

次は9曲目、るいちゃん作曲の「Hydrograph」です。
種のイメージは迷うことなく「マンモス」に決定しました。
今回のアルバムのコンセプト(命あるもの)を話している時に、例えの中に象などの曲があっても面白そうだよね!と、るいちゃんと話していたのですが、いざ僕が原曲を聴いたときにマンモスかなと思いました。
すると、るいちゃんも原曲制作段階でマンモスをイメージしていたようで、二人の意見がぴったり合ったのでした。
イントロは原始を彷彿させる弦楽器のフレーズと音質、それからドラムは新たな打楽器も取り入れられていますが、サビは広がりのあるコードにメロディーというのがいいですよね。
今回も意思の疎通が行われたおかげで、かなりスムーズに進みました。
タイトルのHydrograph(ハイドログラフ)とは横軸を時間とし、縦軸に流量、または水位をとり、その時間変化を表した図のことで、洪水の時間的な変化や年間の変動などを表現するために用いられています。
昔は天候や気温も今とは違って安定していなかったと言われているので、この楽曲の世界観は氷河期や洪水を舞台としています。
氷河時代の人々(狩猟採取民族)は、マンモスやその他の動物を狩ることで生活していました。
ある日親からはぐれ、まだ幼く衰弱しきっていたマンモスは、心ある人に救われ、やがて大きく育っていきます。
やがて大地は厚い雲に覆われ、すべての生き物にとって厳しい時期になります。
食べ物がなくなり、動物が死に絶えていく中、過去に人に救われたマンモスは、以前から胸にあった思いの元、ひとつの決断を下すのです ...。
自然下には食物連鎖があり、生き物達が生き抜くには、あらゆる面において生命力の強さが問われます。
群れのボスのみが子孫を残せるという、自然界の掟がライオンや狼にはあります。
ですが、それは彼らの血統が生き抜いていく術であり、遺伝子が受け継ぐ知恵でもあるかもしれませんね。
生き、子孫を残すということに対し、全ての力を注ぎ込む姿は輝かしいものです。
また人も衣食住、あらゆる分野において動物の尊い命の犠牲の上に生きながらえています。
医療関係にも必ず多くの動物の命が犠牲になっています。
なので例え菜食主義の人々だとしても、間接的になにかしらの命の助けを得ているのだと思います。
僕も以前はファーをあしらったコートなどを持っていましたが、「もう服として形になってしまっているから仕方ない」ではなく、買う人間がいるからこそ、ファーのついた衣服が生産されるのだと、すごく考えさせられました。
凍える大地で生活をする民族や、狩猟を糧としている民族には必要なものだとしても、日本で音楽を糧として生きて行く僕には、ファーがなくても困ることはなにもありません。
なので、今までに購入してしまったものを捨ててしまうのは、命を無駄にしてしまうので大事に着ますが、わざわざ新たに買うことはもうやめようと思いました。
命の灯火は一度消えたら二度と点くことはありません。だからこそ絶対無駄にはできないのです。
僕らが生きて行く中では、今後もたくさんの命をもらいながら生きて行きますが、その尊い命を受け取った者として、たくさんの感謝を込めながら、命の大切さを書かせて頂きました。
「受け継がれて行く あなたと一緒に私の血も」
実際に遺伝子や血が受け継がれていくわけではありませんが、間接的に体の一部、血の元となるという意味合いですね。
愛する人に今自分ができることはなんだろう?
自らが犠牲になることで、共倒れを防ぐことになります。
即ち、それは命を託すこととも言えるのではないだろうか?
...そう思ったのでしょう。
一曲を通して時間の流れがあるのですが、最初のサビでは
「愛するあなたに答えを返そう 時が来たら」
となっているので、「その時」まだが来ていないことがわかります。
そして最後のサビでは、一見同じ様に見えますが、
「愛するあなたに答えを返そう 時が来たから」
となっているので、「その時」がついにやってきたことがわかりますよね。
実はこの楽曲のマンモスには性別が設定されていて、歌詞を見るだけでは解り辛いと思いますが雌なのです。
ですが、頂いたお手紙の中に「このマンモスって雌ですか?」と書いてくれた方が何人かいらっしゃいました。
かなりの洞察力に驚く反面、如何に楽曲を聴き込み、如何に歌詞の深層を理解してくれようとしているんだなと、感動しました!
歌詞を完成させた時に、実際に涙が出てしまったのがこの「Hydrograph」と「Colosseo」だったのですが、リハの時に初めてメンバーに歌詞を見せて説明をした時に、ヒデゾウくんがこっそり鼻をすすりながら泣いているのを僕は見てしまいました(笑)。
メンバーはみんな、世界観に感情移入してくるので純粋に嬉しいです。
おそらく世の中には「マンモスの曲?何それ(笑)」と思う人もいるのでしょうが、こうしてちゃんと気持ちを重ねられるDのメンバーがいるのは、すごく恵まれているのだなと実感しますね。
Dというバンドは趣向や性格はメンバーみんなバラバラですが、見えない大事な部分が密接に繋がっています。
長くバンドを続けられている秘訣のひとつでもあると思います。
僕は世界観を書く時に幻想的な要素も描きますが、その中にある意味ノンフィクションを書き綴っています。
事実、命の犠牲の上に人は成り立っているので、この楽曲もフィクションだとは思っていません。
「結末はどうなるのですか?」という声もお手紙にありましたが、僕は敢えて書かないでいようと思っています。
命の受け渡しは、生きて行く中でとても重要なことだと感じています。
愛するが故の自己犠牲、尊い命の受け渡しを、皆さんだったらどう受け止めますでしょうか?
人は、生き物はすべて、誰かの犠牲の上に成り立ち、そして生きています。
決して一人きりで生きて行けるわけではありません。
ですから、今までに犠牲になってくれた者達の為にも、命の限りを精一杯生きていきたいものですよね。

遂に最後の楽曲です!
11曲目は「楽園」です。
アルバムの最後を締めくくるこの楽曲のイメージは、タイトルそのものの「楽園」であり、「人と全ての動物」になります。
楽園をモチーフにした曲は今までにも「EDEN」という曲がありましたが、この曲はそのエデンシリーズの一番最後の部分にあたる曲になります。
「Snow White」の歌詞に「苦しみとは生きている証」という歌詞があり、「楽園」には「苦しみは置いて行こう」という歌詞があります。
これらは一見矛盾しているようにも見えますが、そうではありません。
前者が「この世における苦しみ」を指しているのに対して、後者での楽園は新しい世界の幕開けなので、「苦しみ」は必要ありません。
悲しみも苦しみも、これらは過去の遺物になるという意味合いです。
楽園ではどれだけ多くのお金や貴金属をもっていたところで、ただの紙切れ、石ころ同然に過ぎないでしょう。
大切なものは心に全部あるので、そういったものを持って行く必要は何一つありません。
なので終わりのない旅には、体ひとつあればいいというわけですね。
人種は違えど、同じ人であるわけですがら、上も下もありません。
人に優劣をつけることがまず諸悪の根源なのだと思います。
単純に考えて、楽園とは平等で平和な世界。
今の世の中でもそう望んでいる人達もたくさんいることでしょう。
ですが中には、人種差別を行ったり、他人を蹴落としたり、支配下におこうとばかり企んでいるものもいます。
誰かを憎むこと、誰かを貶めること、誰かを騙すことが氾濫した今の世では、平等も平和も夢のまた夢でしょう。
悲しきかな、人が人を信じられらない時代です。
ですが、たとえ今は叶わなくても、いつかは望まれし美しい世界が来ることを願いたいものです。
明るさを全面的に出した楽曲で、Dでは珍しい曲調でもありますね。
低音から高音まで音域がかなり広いのですが、そういった点でも広がりのある楽曲になったと思います。
「螺旋が見た夢」
螺旋とはまさしく遺伝子を指しています。
人の始まりがアダムとエバならば、長い時を経ても伝わる遺伝子が、美しきエデンの園を僕らに見せているのではないでしょうか。
初めて目にしたもの、手にしたもの、耳にしたもの、口にしたものであるにも関わらず、人がふいに懐かしい、そう感じることがあります。
ですが、それは実は遠い過去から受け継いだ遺伝と深い関わりがあるのではないかと、僕は思います。
人工的に作られたものと、自然が産み出したありのままの姿を見て、皆さんはどちらに懐かしさを覚えるでしょうか。
自ずから心と体が求めてしまうのは美しかった過去であり、回帰するであろう未来の地球なのでしょうね。
「限りない命」
一般的な考えでは命とは勿論限りあるものなので、限りない命とは言いませんよね。
ですが、聖書における楽園で人間は永遠の命を授けられると記されています。
それと、親から子へ、人以外の多くの種が受け継ぐ命の受け渡し、という意味を兼ねています。
同じ人間同士、同じ地球上の生き物同士、無益に血を流す必要がどこにあるというのでしょう。
憎しみは憎しみを呼び、憎しみから生まれる喜びは偽りであり、決して愛ではありません。
愛とは純粋であり、穢れのないものです。
例え言葉が通じなくても、子供達の笑顔は美しく万国共通であり、また見る者の心を豊かにしてくれます。
誰にも奪う権利はありません。
現実に向き合わなければいけない病気や飢え、命を奪う銃器。
世界にはいまだ紛争や貧しさの為に愛を知らずに生きている人達がいます。
日本にも、血を分けた親族からひと雫の愛情も受けずに育ち、愛を得ずに生きている人達がいます。
愛することの意味がわからない人達もいます。
いつの日かみんなが手を取り合い、心から笑顔になれる日を願って、この曲を作りました。
「新しき世界で 君は名も知らぬ子らと手を繋ぎ 笑っている」
未だ見ぬ楽園を思い描いて書いたわけですが、これはDのライヴにも重ねて考えたい言葉だと考えています。
ライヴ会場は、名前も知らない者同士の皆さんが、Dという音楽を通して身と心をひとつにする場所です。
言葉は交わさなくても、全員が心から笑顔でいれるなら、それが一番素晴らしいと思っています。
すべての人と友達になるのはまず不可能です。
ですが、志しを同じとする者同士であれば、多くを望まなくても、見えない部分でひとつになれるのだと思います。
形のあるものに願い、祈るのではありません。
目に見えない、だからこそ、届く願いなのかもしれませんね。
Dを愛する人に、平和を求める人に、愛をまだ得ぬ人に。
一人でも多くの人に是非聴いてもらいたい曲です。

以上11曲が「Genetic World」のすべての楽曲となります。
一曲の分数としては約5分間とはいえ、結構な凝縮度はあるかと思います。
今僕とDのメンバーの持てる力を余すことなく出し切った、愛溢れる渾身のアルバムです。
既に聴いてくれている方も、まだの方も、改めて手に取り、聴いて、読んで、そして心で感じて下さい。
僕は望んでいます。
体に眠る遺伝子がD、そして僕の思いを受け継ぎ、誰かに愛を伝えて行ってほしい、と。
未来に広がる世界。
それがまさしく「Genetic World」なのです。

なんとか全て書き終えることができました。
もうお昼なのに昨日から寝ていません(笑)。
今から夕方までちょっとだけ睡眠をとろうと思います!
明日から始まる「Genetic World」ツアー、まずはヒデゾウくんとツネの地元、神奈川での2DAYSですね!
メンバー全員、気愛全快で行くので、みんなもそのつもりで気愛入れてきて下さいね!

愛を込めて。

ASAGI

2009/04/09

皆さん元気ですか?
ツアーまで本当にあと少しです!
「Genetic World」は聴き込んでくれていますか?
旗と扇子の用意、それから準備体操はOK?(笑)
リハーサルも回を重ね、ゲネプロも無事終えることができました。
ライヴの初日はいつもすごく緊張しますが、清々しい気分で終えられることを願ってがんばりたいと思います!

それから「Genetic World ツアー」のグッズの詳細もホームページにアップされましたね!
色々とオススメグッズがあるので、またいずれ写真と一緒に紹介したいと思います!
エコバッグ、マイ箸(マイ箸はFC継続限定のアイテムです)に続いてのエコグッズはタンブラーです!
限りある資源を使い捨てするのはもったいないですし、以前から作ってみたかったということも含めて、個人的にも使っていきたいアイテムのひとつです!
珈琲や紅茶、ラテなどをお店で頼む時に使ってもらえると嬉しいですね。
それから今回から導入された、異例?のグッズ!
「ストロベリーローズ」は、10個中2個が激辛のキャンディーという、面白い要素もあるので是非お友達と楽しんでみてくださいね!(笑)
僕もメンバーやスタッフと一緒に楽しみたいと思います。
ヒデゾウくん、当たりの美味しいキャンディーを食べられる様に頑張ってね!(笑)

それでは前回からの続き!
曲の自己レビューを書いていきたいと思います!
あと6曲あるけど、ツアーまでに間に合うかな!?(笑)

アルバムの4曲目はるいちゃん作曲の情緒感の漂うスローナンバー「Arabesque」ですね。
これは原曲を聴いてすぐに広がったイメージが「白鳥」でした。
同時に「白鳥」から連想される「湖上で踊るバレリーナ」も浮かんできました。
映画のような、青みがかかった闇の中でプリマが踊る姿を(クラシックバレエのチュチュではなく、ロマンティックバレエのふんわりとしたドレスのようなチュチュを着たイメージ)、煌々と照らす月だけが見ている、そんなシーンです。
なので、タイトルの「Arabesque」とは、唐草模様のアラベスクのことではなく、バレエの代表的な基本ポーズを指すアラベスクの方です。(語源は中東の唐草模様からきている、とも言われていますが)
バレエ用語であるアラベスクとは、片足を後ろにまっすぐ上げ、もう一方の足で立つという、まさに白鳥を思わせる美しいポーズですよね。
ちなみに白鳥は中世では王の鳥と呼ばれていたようで、また白鳥は生涯同じパートナーと過ごすことからも純愛を思わせます。
立っている足と同じ側の手が前に、反対側の手が足と並行して後ろに伸び、もっとも美しいポーズとも言われています。
他にも、「浸す爪先は弧線をしるし」=ポワント(つま先立ち)をイメージさせたりなど、今回はバレエを彷彿させる言葉を歌詞に使ってみたりしています。
ちなみに「Grand pas de chat」(グラン・パ・ドゥ・シャ)というポーズ(両足を拡げて飛躍すること、空中で両足がくの字になるジャンプ)もあるのですが、これは直訳で「猫のステップ」だそうです!(笑)
確かに猫の動きは大変華麗で、自分の体長の何倍もの高さを、音もなく飛んだりしますからね!
うちのお猫様を見ていても、いつもほれぼれしています。
みにゃくんは最近、出窓や毛玉城の一番上の扉を出入りする時に、3回に1回ほど失敗して、失敗するとチラリとこちらを見た後、気まずそうな顔をしながら毛づくろいしいます(笑)。
どんちゃんの方がおそらく年齢は高いのですが(出生がわからないのではっきりとしたことはなんとも言えませんが)、まだまだ華麗にジャンプできます。
ちょみ姫は言わずとも華麗で俊足で、さすがプリマバレリーニャンコ!といった感じです(笑)。
とはいえ、みにゃくんもまだまだ元気ですし、本当は曲の世界観の中にも「Grand pas de chat」のイメージも入れたかったのですが、「白鳥」が「猫」になっては、ちょっとイメージが薔薇薔薇で散漫になってしまうのでやめました!(笑)
おっと、脱線してしまいました!すみません(笑)。
ちなみにこの曲は「Nocturnal」同様、ヴァンパイアシリーズの一環であり、女性目線で描いています。
時空系列で言うと「what is Going On with The Human」(以後曲名は「GOTH」と省略します)の後になります。
「円鏡の上 踊るでしょう」という歌詞は=「GOTH」の「皿の上のバレリーナ」を指しています。
円鏡は凍った湖の意味合いもありますが、お皿のようにも見えますからね。
この時点で、既にこれから起きる出来事を予測されていたかのように ...。
闇の主に攫われ、黒き血の儀式を受けてしまった悲しき女性の心を描きました。
「今が覚めぬ悪夢~」の部分は、今という現実世界が悪夢のようであるので、このままヴァンパイアへと姿を変え、血を彷徨い求めて闇の中で生きて行くのであれば、迷わず身を絶とう、という決意の表れです。
日を追う毎に黒き血は身を穢し、あと幾日もすれば完全に目覚めてしまうであろう悪しき流れ。
望=満月、朔=新月を指し、時の流れ、月の流れを指します。
(噛まれてからヴァンパイアになるまで、約月齢30日を要するイメージが僕の中での設定です)
月の満ち欠けは人や動物と大きな関わりを持っていますし、その中でもやはり女性とは大きな関係がありますよね。
年に一度、とある島を覆い尽くすレッドクラブという赤いカニは、満月に卵を生みますし、クラゲも大抵満月の後に現れるようです。
生き物の体の中には見えないカレンダーが、遺伝子に刻み込まれているのでしょうね。
生き物の生体を知る度に驚かされることが多々あります!
...話は逸れましたが、翼をもがれた白鳥は逃れる術を知りません。
それでも夢の中でだけは、愛する人と再び出会えると信じていたい。
儚げな想いは捨てきれません。
捕われの身となっても心は誰にも奪われまいとする、悲しみの中に秘めたる女性の強さ。
悲しみにくれながらも、強く、美しく踊り続ける様を描きました。
「Nocturnal」の主人公は無事救い出すことができるのでしょうか...?
ひとつひとつの言葉をメロディに乗せ、演奏と絡む様は、まるで絹糸のように繊細で滑らかです。
クラシカルで幻想的な仕上がりの1曲になりました。

次は6曲目の「背徳の蜜は苦よもぎのように」ですが、こちらもるいちゃん作曲ですね。
聴きやすいミディアムなテンポに、サビのメロディーで部分的にファルセットを使うことで、何とも言えない感情を押し出すことができました。
アルバムを制作するにあたって「Genetic World」の持つ意味をメンバーに伝える際に、裏テーマとして一曲毎に生き物が在る世界観にしたいと言いました。
勿論、ガチガチに考えてしまっては作曲の隔たりになってしまう可能性もあるので、頭の片隅においてもらえばいいかなと思っていました。
(それを僕が歌詞を書く際に、表現していけばいいので)
それをるいちゃんはしっかりと捉えてくれていたようで、原曲を貰った時に、作曲時に遺伝子をイメージしたと伝えてくれました。
遺伝子は植物もそうですが、生き物すべてに備わるものなので、アルバムを通して持つ「遺伝子」というイメージを強く残しつつ、新たに動物をプラスすることを考えました。
色々考えた末に決めた種のテーマは、父をヒョウ、母をライオンとした「レオポン」にしました。
人為的な遺伝子操作、異種交配をテーマとしました。
ライオンは本来ヒョウの天敵であるので、自然交配は皆無であり、また生殖能力は当然ありません。
また、父がライオン、母がヒョウでは交配は不可能だそうです。
このことからも違和感を感じずにはいられません。
ライオンとヒョウでは体格差が大きく生じるので、子を産む母親が大きくなければいけないということもあるらしく、体格差がレオポンほど差が少ないライオンとトラでは一応どちらが雌雄でも可能なようです。
とはいえ、生まれた個体の生殖能力は雄は皆無で、雌は稀にあるようですが、その数値はとても低いらしいです。
父がライオン、母がトラの場合はライガー、また父がトラ、母がライオンの場合はタイゴンと呼ばれていますが、レオポン同様、正式な種ではなく、一代雑種として扱われています。
ライガーが親であるトラやライオンよりも巨大化する傾向がある中、タイゴンは小型でトラよりの容姿になるようで、両者ともライオンとトラから生まれたとはいえ、まるで別の生き物のようになるようです。
同じハイブリッドアニマルとしては、犬と狼の間にも生じます。
自然下にいる狼が犬を見た時に、多少容姿が似ていたとしても仲間だとはまず思いません。
ですが、ヒョウやトラやライオンとは違い、稀に自然交配もあるようです。
元々は犬の先祖自体が狼であるということと、染色体も同じ数であるので、勿論子孫も残せます。
ここは大きな違いとも言えますよね。
ちなみに先日の夢に出てきたグリズリー(ハイイログマ)とホッキョクグマも自然交配があるようです。
元々ホッキョクグマは氷の上で暮らしていますが、温暖化や餌である生き物の減少から、グリズリーの住む土地へ南下してきたのだと言われています。
他にも、生き物が本来住むべき場所である森林が伐採され、山から街へ野生動物が降りて来るという話はよく耳にしますよね。
人間が興味本位で与えた食べ物や、ゴミを探し、そして最終的には人に危害を加えるという理由で殺害されてしまいます。
時折日本でもヒグマやツキノワグマが里に降りてきて ...という話を聞きますよね。
勿論、人の命は大事なので仕方がない、と言ってしまえばそうなのかもしれませんが、元を正せば結局は人に理由があるので、なんとも残念な気持ちになります。
ペットとして持ち込まれた外来種(多いのがアライグマやカミツキガメ、イグアナなど)が、人の手を離れて野生化した為に(厳密に言うと飼いきれないから捨てるなど)、日本古来の生き物の生態系が狂ってしまっています。(池や湖によくいるブルーギルという魚やジャンボタニシ、アメリカザリガニによる被害は大きいようです)
その為、野生化したもの達の多くは、人の手によって殺されてしまうのです。
無責任な人間の話を聞く度に、悲みと怒りが込み上げてしまいます。
...少々話が脱線してしまいました。
ともかくこれは狼犬やクマの交雑種がよくて、レオポンやライガー、タイゴンが駄目という意味ではありません。
あくまでも僕が言いたいのは、自然の中での状況なのか、否か、というものです。
細かく言い出すと、血統書のある犬や猫、馬や牛など、ペットや家畜と呼ばれるものはほとんど掛け合わせていますからね。
勿論ペットショップにいる子達もとても愛くるしいですし、可愛いです。
ですが、中には血が濃くなってしまった為に、先天性の病気にかかりやすい体質であったり、骨が弱かったり、視力が弱かったりする場合もあって、そこはやはり悲しい気持ちになってしまいます。
人が求める容姿や能力、理想のスタイルを求めるがゆえに、動物達が犠牲になってしまっているのでしょう。
ちなみに僕のうちにいる猫は3匹共ミックスです。
ですが、3匹ともこれまで大きな病気をすることもなく健康に育ってくれていますし、すごく可愛いですし、自然下で生まれた命を愛おしく思います。
実際、うちの猫達の実の両親や先祖に、偶然とはいえ3匹に出会わさせてくれたことをとても感謝しています。
生まれてこなければ、逢えなかったわけですし、一緒に過ごすこともなかったわけですからね。
なので、この曲のテーマは「レオポン」ではありますが、他の種同士の自然下にはない、特殊な掛け合わせの意味合いも含んでいます。
実験の上で世界各国で生まれた異種交配の子達は、いわば血のつながりはなくとも兄弟とも言えます。 
人為的で無益な実験から生み出された命の人工授精から誕生を、敢えて植物の受粉から果実が実ることに例えました。
仮に異種同士が幼い時から親兄弟の様に育ち、敵だという認識をなくした上での交配だとしても、人為的であることにかわりありません。
もし動物が人の言葉をすべて理解し、人語を発せられるのであれば、自らの出生の事実をどう受け止めるでしょうか。
自然に反した新しい生き物を生み出す行為は、神に近づけるどころか遠ざかる行為だと僕は思います。
「世界が広がる」という歌詞の部分は、今までに例のない成功例を生み出すことができたら、遺伝子工学的に快挙であり、その分野における世界が広がる、と思っているマッドサイエンティストの考えです。
また、聖書の創世記における、蛇の姿を借りた邪悪な霊者が、人類最初の女性であるエバを巧みに唆した時のイメージでもあります。
野生の獣の力は、はるかに人の力を上回っています。
「私の理性があなたを生かしている」と「救われない」いう部分では、獣自身が理性を保ってるゆえに科学者を噛み殺さないが、愛のない行為で生まれて来た自分自身、救われない気持ちだ、という意味が込められています。
異種交配の元に生まれた子達は、大切に育てられることでしょう。
ですが、そこにある愛情とは偽物であり、あくまでも見せ物としての大事さで、単なる人のエゴとしか思えません。
勿論、育てる飼育員の方の中には、純粋な気持ちで愛情をもって育てた人もいるでしょう。
ですが、発案者や実際に事の決定打を打ち出した人々に愛があったと言えるでしょうか。
本当の意味での愛で言うならば、そんな不自然なことを、愛するものに望んだりはしないと思います。
とはいえ、生まれて来た命はとても大切な命なので、少しでも多くの愛情の中で過ごしていってくれればいいなと思います。
残せない、救えない過去ならば、自分の身をもって未来にはあってはならないと証明したい、そんな気持ちを代弁するかのように歌詞にしました。
最後のCメロ部分とタイトルに出て来る「苦よもぎ」とは、キク科ヨモギ属の多年草です。
よもぎというと、日本人である僕たちが一番最初に思いつくのは、おそらくよもぎ餅でしょうか。
この時期にお花見にぴったりの三色団子の緑色の部分は、よもぎ団子ですよね。
中には合成着色料を使ったものを販売しているところもあるようですが、本来はすり潰したよもぎの風味が残った自然な緑色です。
それからほんのりと春の香りがあるものですよね。
世界的に言うとやはりハーブであったり、苦よもぎ単体となると、有名なのはアブサンと言われるアルコール度の非常に高い、緑色のリキュールの中に含まれているひとつですね。(幻覚作用や中毒者がでるので、禁止になったりしたこともあって、大変危険なお酒なようです...。)
また、苦よもぎという言葉は聖書にも何度か出てくるようです。
ハルマゲドンの時に苦よもぎという名の大きな星が降ってきて、愚者は命を落とすと書かれています。
自分にとっては甘い蜜だとしても(実験結果の自分のステイタスの高まりや生体を見せ物としての利益など)倫理的な問題を甘くみているものは、神に対する裏切り(背徳)であり、いずれ聖書で言う苦よもぎを味わうことになるでしょう、という意味合いからつけました。
内容はすごく濃いのですが、その分過剰に重たくなってしまっては原曲の持ち味が損なわれてしまうので、そこは聴きやすく歌うように意識しました。

うーん、やっぱり今回も長いですね(笑)。
残り6曲だったので、今日は3曲行きたかったのですが、2曲止まり ...。
明日(というか今日)は某雑誌の企画対談と撮影があるので、この辺りにしておこうと思います。
あと4曲あるのにライヴまではあと1日しかない!(苦笑)
とはいえ、ツアーまでに書き終えたいから、間に合うようにがんばろうっと!
次は「狐塚」からですね、ではまた明日!(笑)

2009/04/07

最近は随分と陽も長くなり、今年の終わりまでは冬ともお別れです。
さて、この時期に思い浮かべる花と言えば勿論桜ですが、大振りの花が鈴なりにつく木蓮もなかなかなものですよね。
先日、通りすがりに見かけた白木蓮があまりに見事だったので、ついつい立ち止まって見とれてしまいました。
花が咲きこぼれて、四季を届けてくれる庭というのは、見ていて心が洗われるような気がしますね。
それから春と言えば、Dはもうじき6周年、7年目に入ろうとしています。
アルバムを作り終えてからは、ツアーが始まるまでは少しゆっくりできるかな?とも思っていたのですが、なんだかんだで忙しい日々を送っています(笑)。
ですが暇でなにもすることがないより、忙しいということは有り難いことですけどね!
色々とやることはたくさんあるのですが、時間を作れたら映画を観に行ったり、本を読んだりしたいと思います。
目まぐるしく変化していく毎日の中でも、自分をしっかり持った上で、気持ちも新たにまたがんばっていきたいと思いますので、皆さんよろしくお願い致します!

あともう少しで「Genetic World」のツアーが始まりますね!
頂いたお手紙やファンメールを読むと、皆さんしっかりとアルバムを聴き込んでくれているようで嬉しい限りです。
今回は全国27カ所ということで、過去最高本数!
やっと皆さんに新曲達をお披露目できます!
とはいえ、新曲はまだまだ不慣れなところもあると思うので、ツアーを通して成長していけるようにがんばりたいと思います。
というわけで、新曲をもっと皆さんに知ってもらう為と、テーマになった動物もよく知ってもらう為に、恒例?の自己レビューを書いていきたいと思います!(一気に書けないので小分けにしつつね!)

まずは1曲目の「Nocturnal」。
この曲はアルバムのPVにもなっていますね。
種のテーマとしては「蝙蝠」で、タイトルの「Nocturnal」とは夜行性という意味です。
元々は昨年、僕が実際に見た「夢の中での旋律」を元に、作った曲になります。
詞や世界観のイメージを夢の中で掴む、ということは以前からありましたが、メロディーという面では珍しいことかもしれません。
夢の中で聴いたことがない音楽が流れていて、「あ、この曲すごくいい!曲にしよう」と思うことも、以前からしばしばあったのですが、如何せん目覚めと共に忘れてしまうことがほとんどでした。
ですがこれは未だに鮮明に覚えています。
起きてすぐにICレコーダーに録り、その後シーケンサーに打ち込みました。
とはいえ、イントロの印象的なギターフレーズを思いついたのは夢の中ではないのです。
どこかというと…実は某ファミレスなのです(笑)。
僕は作詞作曲は、基本的に自宅にこもってこもって作るタイプなのですが、その日はなんとなく気分転換にシーケンサーとヘッドホンなどを持って、自宅から少し離れた深夜の某ファミレスに行きました。
店内にはあまり人がいなかったので、学生さんが勉強している傍ら、僕もこっそり曲作りをしてました(笑)。
曲自体はだいたいできていて、あとはイントロをどうしようかな?と色々考えていたのですが、なかなかいいフレーズが浮かばなかったので、先に曲の世界観をイメージしてみることにしたのです。
真っ先に脳裏に浮かんだのは、「夜空に無数の蝙蝠がいて、それらが一カ所に集まってくる」、という感じでした。
思いついたのが嬉しくて、行きはタクシーで行ったのに、帰りは色々PVなどの構想を考えながら歩いて帰ったくらいです!(笑)
それにしても不思議なものですよね。
今まで一向にフレーズが出てこなかったというのに、イメージが浮かんだ途端、フレーズも同時に宇宙から降って来たのですから。
歌詞もそうなんですが、イメージが定まらない内は、メロディーにどんな言葉を乗せてもぐっと来ないのに、イメージが定まると、今までが嘘の様に、言葉が溢れだしてきます。
音楽やアート全般に言えることなのですが、アートとは如何に「美しく作り出すか」ではなく、如何に「イメージを最大限に引き出せるか」なのではないだろうか、と僕は思います。
勿論美しいことは良いことですが、作品自体が放つ独立した感情がやっぱり欲しいですよね。
イメージアニマルが蝙蝠ということで、蝙蝠のことも色々調べました。
ずっと昔のオフィシャル日記で(かなり昔の日記なので今は見れません、MTPMVol.10に掲載)、当時フルーツコウモリ(果物を食べる蝙蝠、フルーツバット)を飼いたいと書いたこともあったのですが(笑)、蝙蝠って意外と可愛いんですよね。
特にフルーツを主食とする蝙蝠は目もくりっとしていて愛嬌もありますし!
蝙蝠=血を吸う、というイメージが強いかもしれませんが、一般的な蝙蝠は虫を捕食したり、熱帯の方では果物を食べるそうです。
実際に家畜の血を吸う蝙蝠もいますが、稀なようです。
一般的な目の小さい、耳の大きな蝙蝠達は視力が悪いので、エコロケーションという反響定位でものの距離感を掴みます。
果物などを主食とするオオコウモリの種は、基本的にはエコロケーションはしないのですが(目がいいので)、僕の好きなエジプトルーセットオオコウモリは、唯一エコロケーションをするようです!(笑)
というわけで、コウモリの発する超音波を楽器に例えたらテルミンだ!と思いつき、効果音として(曲中のうねるような電子音がテルミンの音です)曲に取り入れてもらっています。
猫型とか、ロシアらしくマトリョーシカ型テルミンもあるらしく(笑)、個人的に興味そそられる電子楽器のひとつです。
PV撮影時には、みんながいるところに実際蝙蝠が遊びに来てくれたりして、楽しかったんですよ!
身を貫く真冬の寒さの中、撮影に挑んだのですが、かなり寒かったです...!
特にるいちゃんなんて露出度が高いから、待ち時間に震えてたりしたのですが、なんとかみんな気愛で乗り切りました!
撮影前に少々トラブルもあったのですが、なんとか終えることができて良かったです。
監督は今回、久しぶりにヴィジュアルトラップのKさんだったのですが、インディーズ時代からよくお世話になっているので、イメージを掴んで頂けるのも早かったですね!
最初にイメージした「夜空に無数の蝙蝠がいて、それらが一カ所に集まってくる」もちゃんと実現してもらえました!(笑)
最後から少し手前のシーンは、反対に僕が無数の蝙蝠にまた姿を変えるところです。
撮影秘話としては撮影2日目の、その最期のシーンを撮る為に、背面から倒れたりしたことですね。
マットがあるとはいえ、何度も倒れなければいけないのでちょっと大変でしたが、良い絵を撮って頂けたので満足です!
また、ストーリー的にはDで既存しているヴァンパイアをテーマにしたシリーズ曲の一環でもあり、子息のお話ですね。
闇の主に攫われた愛する人を追っている段階です。
ほとんどのヴァンパイアシリーズの世界観は中世ヨーロッパのようなイメージがありますが、この楽曲はもっと未来を描いています。
「行き交う人々 それぞれの想い 人工の星空の下」
という歌詞がありますが、星のない都会の空、雑踏のイメージです。
都会の夜は眠りを忘れ、空には星に代わる人工の光。
多くの人がそれぞれの思いを胸に生きています。
問いかけに対しての残酷な答えを恐れながら。
光あるところには闇が、闇のあるところには光が。
自らが持つ生まれながらの性との葛藤。
闇に支配されるのではなく、闇が故に心の目を開くこと。
そうすることで、闇さえも凌駕する強さ=光を得るのではないか、という姿を描きました。
「月に近づける」
という部分では、王(「Nocturnal 」の主人公の父であり、既存曲で月のイメージを持つ者として)に近づけるという意味と、「月」は届かないものを指す言葉でもあるので、手に入れられないものでさえ手に入れられる(攫われた愛する人を取り戻す)という意味が出るようにもしました。
「届かない星」
は今は届かない場所にいる愛する人の存在ですね。
目の前にある形あるものだけではなく、目に見えないものだからこそ見えてくるもの、それが心ですよね。
たとえ体は離れていても、心と心が重なっていれば、なにも恐れることはありません。
心は一番大切なもので、大切だからこそ愛する人に捧げたいと思うものでもあります。
どんな高価なものより、ずっとずっと素晴らしい贈り物だからですね。
蝙蝠の視力は悪いことが多いですが、その分耳が発達しています。
反響定位を用いて、目には見えなくてもちゃんと見えていますよね。
人もそれぞれ、長所、短所はあると思いますが、そういうことも絡めてマイナスをプラスにできる力を表現しました。
マイナスと感じることをうまくコントロールしたり、なにかきっかけを得ることによって、プラスになることってあると思います。
ちなみに「Sleeper」はこの「Nocturnal」より少し前のお話になりますね。
曲全体としてはストレートながら捻りもある、ロック感溢れる楽曲です。
メンバーそれぞれの見所もあるので、ライヴでも栄えそうな一曲に仕上がったと思います。

...1曲目からすごく長くなってしまった(笑)。
でもPVも撮ったから、その時の話も書いてるしね!
というわけで次の曲!

2曲目は「Colosseo」です!
ライヴでは拳でノレる曲ですね!
イントロのスネアに合わせて声も出して来てね!!
さて、こちらは今は絶滅した「バーバリライオン」がテーマの反戦歌になっています。
この楽曲は最初にライオンをテーマに作ろう、という意思の元に作曲したので、全体的に重たい厚みのあるワイルドなサウンドになっています。
作曲過程でコロッセオのイメージもプラスしてからは、古代という時代背景を踏まえて、原曲段階でシタールという楽器も取り入れていました。
イントロなどのテーマとなるフレーズも、ライオンの気高さをイメージして作りました。
古代西洋楽弦楽器といえば、キタラーという竪琴(弦楽器の元となる楽器でもあり、ギターという名はここから来たとも言われています)なのですが、さすがにキタラーの音色はありませんからね(笑)。
シタールはインドの方の民族楽器なので、コロッセオがあったローマ帝国とは違うかもしれませんが、エキゾチックな雰囲気で、るいちゃんがエレクトリックシタールという楽器で弾いてくれました!
現代的になってしまいますが、軍楽隊がドラムロールを叩いているイメージなどもあったので、サビ部分のリズムにマーチ(行進曲)風のものを原曲段階で入れていたのですが、岡野さんがより、マーチングドラムにしてくれました。
ヒロキくんは大変そうだったけど、いい感じに叩いてくれました!
ギターソロのバックの間奏なんかはツネも頑張って考えてくれました!
サビとしてはやはりメロディアスな部分を大事にしたかったので、世界観を如何にドラマティックに魅せられるかを重要視しました。
この楽曲の世界観は物語として描いているとはいえ、実際過去にはコロッセオや戦では数多の血が流されてきたわけですから、単なる物語として終えるわけにはいきません。
ストーリー自体はフィクションでも、僕が伝えたいことはノンフィクションのつもりです。
ライオンは百獣の王という異名を持ちますが、この種は現在生存するどのライオンより大きく、そしてまた美しかったと言われています。
この楽曲のバーバリライオンは北アフリカから連れてこられた、ライオンの王のイメージです。
ライオンというと、一般的にアフリカのサバンナに生息しているイメージがありますが、バーバリライオンは森林を好んで生息していたようです。(ライオンの亜種であるインドライオンも森林を好み、大昔には洞穴を好む種もいたりしたようです!)
今は他の種のライオンとの混血の個体がフランスの動物園で飼育されているらしいですね。
余談になりますが、「迷いの森」の主人公はこの「Colosseo」の主人公(バーバリライオン)の血をひくライオンのお話なのです。
自分に流れるバーバリライオンの野生の血が語りかけたセリフとなっていますね。
「迷いの森」は本能のまま雄々しく生きるのか、または育ててくれた者と共に飼育下の中で過ごし生きて行くのか。
葛藤している様を描いた楽曲です。
少々脱線しましたが、ともかく美しいが故の悲劇ともいうべきか、彼らの多くは人に捕われ、そして殺されました。
古代ローマ帝国の象徴とも言うべき、円形闘技場(コロッセオ)ではグラディエーター(剣闘士)達との無益な戦いを強いられました。
バーバリライオンや人々の命を、あたかも自分の所有物のような、命を命とも思わない残虐非道な行為。
バーバリライオンに限らず、多くの種は今現在も刻々と滅びつつあります。
生を軽んじるものは、自らをも滅びに近づけ、決して永遠を得ることはできません。
檻がせり上がり、罪無きもの同士どちらかの命が尽きるまで苦しみは続き、安らかな眠りさえ許されることはありません。
死してなお、何千年先までも伝えたいという強い想いを描いています。
イタリア語の部分の「Sangue.」は「血」を意味します。
よく赤いオレンジジュースや赤ワインに「サングエ」とついていることが多いのは、赤さゆえに来ている名前なのでしょうね。
「Noi lo capiamo.」は「我々はそれを分かっている」、「Non sentono niente.」は「彼らは何も分かっていない」という意味で、「我々」はライオンを含む動物を指し、「彼ら」とは戦を楽しむ(血を好む)人々を指します。
生まれて来るということは、遠からず死も必ずやって来ます。
普段、今の日本では生はともかく、死というものは身近に感じることは多くありませんが、生や死を切に感じつつ生きるということは日々を大事に生きるという証であり、生や死を軽んじることは大変愚かなことだと思います。
この物語の相見える相手とて、自由を奪われた罪なきものであり、コロッセオは自然が望んだ形ではありません。
真の強さとは戦いを制することではなく、心の強さであり、命を勝敗に賭けることにあらず。
戦いとは無益であり、戦いを嬉々として好むものは一時の勝者になれども、永きの敗者となることでしょう。
我が身を裂く刃、それに加えて血に飢えた民衆の声が心を裂かんとします。
野生の獣達は、肉食なので他の動物を捕食することで生きていますが、人間よりずっと血(命)の大切さを理解している気がします。
与えられた生き方で生きている(無益な血は流さない)のに対して、悲しいことに人は血や命の大切さが何であるかを理解していない、また血に対して何も感じることのない人達がたくさんいいるのです。
バーバリライオンの王は、本当の意味での強さとは何たるかを心得ています。
鬣を靡かせた勇姿は最後の最期まで、まるで太陽のように光り輝いていたことでしょう。

...やっぱり長くなってしまいました(笑)。
最近ますます世界観が濃厚になりつつあるので、短縮しようにも短縮できなくなってきました。(これでも簡潔にまとめているつもり!)
というわけで、今回は2曲になってしまいましたが、ツアーが始まるまでには全曲(シングル曲は割愛)のレビューができるといいな、と思っています。
次はシングル曲の「BIRTH」を飛び越えて、るいちゃん曲の「Arabesque」からかな!
「楽園」まではまだまだ先になりそうですが(笑)、今後もよろしければお付き合い下さい!

それでは近いうちに、また!